シベリア抑留の記憶を、未来へつなぐ地図に
第二次世界大戦終結後、約57万人もの日本人がシベリアをはじめとする旧ソ連各地の収容所に抑留され、
過酷な強制労働と厳しい自然の中で、多くの方が命を落としました。
私の祖父も、3年間シベリアで抑留されていました。
祖父の抑留体験を調べようとしたとき、厚生省など公的機関の資料は非常に探しづらく、必要な情報にすぐアクセスできない現状がありました。
「もっと多くの人が、自分の家族や大切な人の歴史を簡単にたどれるようにしたい」
この思いが、当サイトを作る最初のきっかけです。
サイトの目的
シベリア抑留の記憶を地図と写真で可視化すること
Googleマップ上に収容所跡や関連地を示し、それぞれの歴史や写真を紹介します。
抑留体験の継承と、平和の大切さを発信すること
歴史的事実を風化させず、命と人権の重さを次世代に伝えたいと願っています。
収容所跡地の現状記録と、展示活動への展開
現地調査・撮影を進め、SNSでの発信、写真展や映像展示も予定しています。
みなさまへのお願い
・現地情報や掲載可能な写真や動画をお持ちの方ががいらっしゃれば、ぜひ情報をご提供ください。
・活動の資金サポート・協力については、お手数ですがメールフォームよりお問い合わせください。
このマップが、歴史を学び、命や平和の尊さを改めて考えるきっかけとなれば幸いです。
みなさま一人ひとりの声と記憶が、新しい「記録の地図」を育てていく力になります。
どうぞご協力をよろしくお願いいたします。
更新情報
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編集者

YUJI TAKUBO
1985年神戸生まれ。両親の生まれは愛媛県の伯方島。
東京で撮影やウェブ制作の仕事をしている。
Instagram:@yuji1985
シベリア抑留に関する情報の入力方法について
現在、シベリア抑留中の日本人が収容されていた場所と、その場所に関する情報をまとめています。
この情報は、厚生労働省の資料および村山常雄氏の資料を主な参考にしたうえで、独自に調査した文献も加えて作成しています。
なお、私自身が追加で調べた文献に基づく記載も含まれるため、誤りを含んでいる可能性があります。もしお気づきの点があれば、ぜひご指摘ください。
今後の掲載予定
・エリアごとの情報や収容所ごとの詳細
・過去の写真や、現在の様子を撮影した写真
タイトル(見方)の例
例1:D2-003 第359労働大隊 チカロフ オレンブルク 94
D2-003 → 村山常雄氏が作成された分類番号
第359労働大隊 → 部隊や建物の名称・役割
チカロフ オレンブルク → 地名
94 → その場所での死亡者数
※4桁の数字が表記されている場合は、厚生労働省の埋葬地整理番号を表します。
進捗状況(2025年3月11日 現在)
村山名簿の情報 → 入力完了
厚生労働省の名簿 → 30/560件のみ入力済(まだ大部分が未入力)
takuboyuji@gmail.com
田窪 優司
1. 現在の遺骨収集事業の進行状況(継続状況と地域別実施状況)
ロシア国内における日本人抑留者の遺骨収集事業は、 現在実質的に停止状態 です。第二次大戦後の旧ソ連抑留地で亡くなった日本人の遺骨は長年にわたり収集が進められてきましたが、2020年度・2021年度は新型コロナ感染拡大の影響で現地調査団の派遣ができず、さらに2022年度以降はロシアのウクライナ侵攻に伴う渡航制限により、ロシア領内での遺骨収容活動が全面的に中断しています。
日本政府は遺骨収集を人道上の問題として位置づけていますが、外務省は2022年2月以降ロシア全土に「渡航中止勧告(危険情報レベル3)」を発出しており、調査団の派遣が困難な状況です。
地域別に見ても、沿海地方(ウラジオストク周辺)やハバロフスク地方など極東ロシア地域、シベリア内陸部の各収容所跡地 いずれも現地での新規遺骨発掘・収集は停止しています。厚生労働省によれば、ロシアおよびカザフスタンに日本人抑留中死亡者の埋葬地が少なくとも53か所確認されていますが、これらの地域で現地調査や遺骨収集を行う目処は立っていません。
ただし、ロシア国外の旧ソ連地域 では一部進展があり、例えば2023年にはカザフスタンで日本政府の調査団が現地調査と遺骨収集を実施し、13柱の遺骨を日本へ送還しています。このようにロシア領外で渡航可能な地域については事業が続けられていますが、ロシア国内の沿海地方・シベリア・極東地域での遺骨収集は現在すべて休止を余儀なくされています。
2. 2020年以降の進捗状況(活動実施状況・収集件数・送還状況)
2020年以降、ロシア国内での新たな遺骨収集団派遣は行われていません。上記のとおり、新型コロナ禍とウクライナ侵攻の影響で、2020年度から2022年度にかけてロシアでの現地発掘作業は中断しており、実質的な遺骨収集活動は停止しています。
そのため、この期間にロシア領内から新規に収容された遺骨の数はゼロで、日本への送還も行われていません。一方で、日本政府は既存の遺骨の身元特定作業や関連資料の調査に注力しており、ロシア側が提供した抑留者名簿や死亡証明書などの資料と日本側の記録を照合することで、新たな身元判明につなげています。
例えば厚労省は2025年1月、新たにシベリア地域で死亡した抑留者14名の身元を特定し、氏名と出身県を公表しました。
このように遺骨そのものの収集が停滞する中でも、書類調査とDNA鑑定による身元判明が進められている状況です。 遺骨収集事業を巡っては、2019年に判明した「誤収容問題」 の影響で手法の見直しも行われました。2014年にロシア・ザバイカル地方で収集された16柱の遺骨についてDNA鑑定を行ったところ、「日本人ではない可能性が高い」と判明し、2019年8月にこの問題が報道されています。厚労省は当時、ロシア人鑑定人の判断に基づき収集した遺骨に現地の他国人の骨が含まれていた可能性を認め、ロシア側との協議を開始しました。
この反省を踏まえ、2020年度からは収集手順を抜本的に変更し、まず遺骨の一部(検体)を日本に送ってDNA型鑑定を実施し、それが日本人と判定された場合にのみ遺骨本体を日本へ送還する方式に改めています。
実際、2019年11月にはロシア極東(樺太・千島方面)でロシア側調査団が収集した遺骨のうち、日本人の蓋然性が高いと現地で確認できた7柱が日本側に引き渡されました
(ただし検体については通関上の技術的問題で一時ロシアに留め置かれ、蓋然性が不明な遺骨も現地保管となっています)。
このように2019年頃まではロシア側からの遺骨引渡しも行われていましたが、2020年以降は上述の理由で新規の収集・引渡しは止まっています。代替的な進捗として、中央アジアの旧収容所跡地での収集(2023年にカザフスタンで13柱送還)や、国内に保管されている不明遺骨のDNA鑑定・遺族照会が挙げられ、厚労省は定期的に身元判明した遺骨を遺族へ伝達する取り組みを続けています。
なお、日本政府はこれまでに旧ソ連抑留地から約2万2千柱の遺骨を収容・日本に持ち帰っていますが、シベリアなどで死亡した日本人抑留者約6万人以上と推計される犠牲者数と比べると一部に過ぎず、依然4万人近い遺骨が現地に眠ったままとされています。抑留者の高齢化に伴い「一日も早い遺骨収容を」という声は強いものの
、近年は物理的収集よりも資料調査・DNA鑑定による間接的な進捗が中心となっているのが現状です。
3. 日本政府(厚労省・外務省)とロシア政府の対応(協議の内容・進展、協力状況、方針・予算)
日本政府は遺骨収集を「人道上の問題」として重視し、ロシア側に協力と事業再開を働きかけています。 遺骨収集事業は日露間の二国間協定に基づき進められてきた経緯があり
MHLW.GO.JP
、厚生労働省と外務省が連携してロシア政府との交渉に当たっています。2019年に先述の誤収容問題が表面化した際には、同年9月以降日露両政府による実務協議が複数回行われ、日本側はDNA鑑定結果や問題となった事例の詳細をロシア側に説明し、誤って収容した日本人以外の遺骨の取り扱いや、今後の収集の進め方について協議してきました。厚労省は2019年9月にDNA鑑定結果(日本人でないと判明した9事例)を公表・通告し、さらに同年12月にも追加の4事例について説明するなど、ロシア側と情報共有を図っています。
この協議では、問題となった遺骨を現地に返還することも含め対応策が話し合われており、ロシア側との信頼関係回復と将来的な円滑な収集再開が目指されています。 ロシア政府の対応としては、中央政府および地方政府が一定の協力を示してきた実績があります。
過去にはロシア側から日本人抑留者の埋葬地情報や名簿が日本側に提供されており、平成3年(1991年)以降、ロシア当局提供の資料をもとに日本政府が抑留死亡者の特定作業を進めてきました。提供資料は名簿形式に限らず、抑留者の医療記録(病床日誌やカルテ)、死亡証明書、埋葬証明書など多岐にわたり、こうした情報が身元確認に大きく役立っています。実際、ロシア連邦政府は近年もシベリア抑留関連の新資料を日本側に引き渡しており、2024年11月にはロシア提供の資料を厚労省が分析・公開しています。
またロシア側が独自に日本人戦没者の遺骨を発掘・収容し、日本側へ引き渡した例もあります。
近年ではロシア極東(北緯50度線付近の旧国境地帯や千島列島の占守島など)でロシアが収容した日本人遺骨を日本側が受領しており、2019年11月にはロシアの調査団が発掘した遺骨のうち日本人と確認された7柱が日本へ送還されています。このようにウクライナ侵攻以前は、中央政府レベルの資料提供と地方レベルでの遺骨発掘協力の双方で一定の前向きな対応が見られました。
日本政府側の方針としては、現在も遺骨収集事業を継続する意志は強く、予算措置も維持されています。厚生労働省は「戦没者遺骨収集推進法」に基づき事業を遂行する責務があり、2024年度予算案にも遺骨収集事業費約26億円を計上しています。この中には旧ソ連抑留者に関する資料取得・特定作業費として約1億1千万円が充てられており、ロシア側との協議やDNA鑑定の継続に充当されています。外務省も厚労省と連携し、ロシアに対し**「遺骨収集事業の再開」と「抑留中死亡者に関する資料提供」の継続協力**を求め続ける方針です。
実際、2023年(令和5年)9月に就任した上川陽子外相は記者会見で「厚労省と連携しつつ、遺骨収集事業の再開および抑留中死亡者に係る資料提供を引き続きロシア側に求めている」と述べており、政府一体で適切に対応していく考えを示しています。
しかしながら、ウクライナ侵攻以降の日露関係の悪化により公式な政府間協議は停滞気味です。ロシア政府は2022年以降、日本との平和条約交渉やビザなし交流を含む多くの二国間対話を中断しており、人道分野である遺骨問題についても高官レベルの協議は開かれていません。それでも完全に交渉ルートが途絶えたわけではなく、外交ルートで必要な調整は細々と続けられていると見られます。日本側はロシアの地方当局(各州・地方政府)とも現場レベルで調整を図り、将来に備えて情報交換を続けています。
総じて、日本政府は予算と人的リソースを確保しつつ、ロシア側の協力姿勢が得られ次第すみやかに事業を再開できるよう準備を整えている段階といえます。一方のロシア側も公式には遺骨収集の枠組み自体を破棄したとは表明しておらず、提供済み資料の活用など最低限の協力関係は維持されています。しかしウクライナ情勢下で新たな積極策は見られず、ロシア政府の協力は現在「静的な提供済み協力」に留まっている状況です。
4. 事業の課題と障壁(外交関係の影響、協力可否、行政・法的課題、地域ごとの問題点)
最大の課題はウクライナ侵攻に伴う日露関係の悪化です。ロシアによる侵攻開始以降、日本政府は対露制裁を科し、ロシア政府も日本を「非友好国」に指定しました。その影響で人の往来が厳しく制限され、遺骨収集団の現地派遣は不可能となっています。
また政治・外交上の対話も停滞し、遺骨収集に関する協議さえ思うように進められない状況です。日本共産党の小池書記局長も2022年8月の追悼集会で「ウクライナ侵略の影響もあり抑留者の資料収集や遺骨収集が滞っている」と指摘し、「ロシアは協力する責任があるし、日本政府も事業を進める責任がある」と強調しました。
現在の軍事侵攻継続下では、ロシア側が日本に遺骨収集団の受け入れを認める見通しは立たず、この外交的膠着が事業再開の最大の障壁となっています。 ロシア側の協力姿勢の不透明さも課題です。ウクライナ侵攻以前は資料提供や遺骨引渡しで協力が見られたものの、侵攻後はロシア国内で対日感情が悪化し、人道案件であっても日本に協力することへの抵抗感が高まっている可能性があります。
さらに、安全保障上の懸念から、日本人関係者のロシア国内での活動自体が困難です。仮に渡航が許可されたとしても、現地での調査活動がスパイ行為などと誤解されるリスクや、日本人要員の身柄拘束など最悪の事態も懸念されるため、慎重な対応が必要です。このようにロシア側の非協力的な姿勢と治安上のリスクが、事業の大きな障壁となっています。 行政的・法的課題としては、ロシア国内法や地域の規制への対処があります。
遺骨の発掘・搬出にはロシア側の許可が必要であり、各埋葬地ごとに管轄当局との調整を要します。例えばウズベキスタンでは宗教上の理由で遺骨発掘の許可が得られず事業が進まないケースがありました。ロシア国内でも、埋葬地が現地住民にとっては戦没者共同墓地となっている場合や、他国人の遺骨と混在している場合があります。そのため発掘には慎重な合意形成が必要で、法的手続きも煩雑です。
2019年の誤収容問題では、日本側が誤って収集し持ち帰ったロシア人等の遺骨をどう処置するかというデリケートな問題も浮上しました。日本政府はロシア側に謝罪の上で返還を検討していますが、遺骨返還の法的枠組みや再埋葬の手続にも課題が残ります。こうした行政・法的なハードルを乗り越えるには、日露双方の官僚間の綿密な調整と信頼醸成が不可欠ですが、現下の関係悪化でそれも難航しています。 地域ごとの固有の問題も存在します。
シベリア・極東地域は広大かつ地形・気候条件が厳しく、遺骨収集の物理的難易度が高いです。冬季は気温が氷点下30度にも達し地面は凍結し、人跡稀なタイガ(針葉樹林)やツンドラ地帯に散在する埋葬地にアクセスするだけでも困難です。
抑留者たちは強制労働の過程で命を落とし、その場で急ごしらえの埋葬が行われた例も多くあります。線路脇や収容所跡地に埋められ標識もないまま放置された遺体も多く、埋葬場所の特定自体が難題です。現地の地形変化や開発の影響で遺骨が散逸・損傷している可能性もあり、長い年月の経過により発見自体が年々困難になっています。実際、旧ソ連各地で約70年以上風雨にさらされた遺骨の中には、DNA鑑定に耐えないほど風化したものもあるとみられます。
さらに現地住民との関係も繊細です。地域によっては旧日本兵の墓を保存・慰霊してくれている住民もいますが、一方で自国(旧ソ連)戦没者の眠る地でもあり、日本だけの事情で掘り起こすことへの抵抗感もありえます。発掘作業時には地元当局者や住民の理解と協力が欠かせませんが、言語や文化の壁もあるため、調整には時間を要します。ウクライナ侵攻以降は日本人への不信感が広がりかねず、たとえ将来事業再開が許可されても、地域社会との協調を取り戻すのにも努力が必要でしょう。
また、資金・人材面の課題も指摘されます。政府予算は計上されているものの、実地作業がない中で風化しかねない問題への関心をどう維持するか、専門人材(遺骨鑑定士や調査員)の育成・確保も長期的課題です。戦後80年近くが経過し、有識者や元抑留者といった「生き証人」も高齢化しています。貴重な証言や情報が失われる前にどれだけ資料収集できるかも時間との戦いです。こうした技術的・人的リソースの制約も、遺骨収集事業の背景に横たわる見えにくい障壁と言えます。
5. 今後の見通しと計画(日本政府の方針、ロシアとの交渉・協力可能性、事業再開の見通し・代替案)
日本政府は今後も遺骨収集事業をあきらめず、状況を見極めつつ再開を模索する方針です。厚労省・外務省は引き続きロシア側に対し協力を呼びかけていくと明言しており、人道上の取り組みであることを強調して外交交渉の糸口を探る考えです。上川外相は2024年8月の会見で、遺骨収集事業の再開と資料提供を粘り強く求めていく意向を示しており、日本政府内でも継続的に有識者会議や関係閣僚会議を開催して事業計画の検討を続けています。ウクライナ情勢という不確定要因はありますが、政府関係者は「平和が訪れ次第、速やかに現地調査を再開できるよう準備を整えておく」方針です。
例えば厚労省は、渡航再開が可能になった際に即応できるよう埋葬地リストや抑留者名簿53か所分の情報を整理・蓄積しており、在外公館ルートでロシア側関係機関との調整にも努めています。当面はロシア国内への派遣は難しいものの、「できる範囲で進める」二段構えの戦略が取られています。
すなわち、(1)ロシア国外(中央アジアなど)で可能な収集は進め、(2)ロシア国内については機が熟すまで資料調査・身元鑑定を中心に進めるというアプローチです。 ロシア政府との交渉や協力の可能性については、現状では楽観できませんが、将来的な改善の余地は残されています。ウクライナ戦争が停戦・終結に向かい、国際的緊張が緩和されれば、ロシアも人道分野での協力に前向きになる可能性があります。
過去の日露関係を見ると、政治的対立があっても人道問題では協力が実現した例(例えば冷戦期の日本人墓参など)もあります。日本政府は今後も国際会議の場や第三国を介したルートでロシア側に働きかけ、政治とは切り離した人道協力として遺骨問題を進展させたい考えです。
もっとも、ロシア側の姿勢はロシア国内の情勢次第でもあり、日本側の呼びかけにすぐ応じる保証はありません。専門家の見解では、「戦争が長期化する限りロシア側の協力は期待しにくいが、人的交流が再開できる局面になれば遺骨収集が関係改善の糸口となりうる」と指摘されています。
要するに、ウクライナ情勢の行方と連動して事業再開の時期も左右されると見られています。
そうした中、日本政府や関係機関は代替策や新たなアプローチも検討しています。ひとつは、既に日本に収容済みの未判明遺骨の身元特定作業を加速することです。現在千鳥ケ淵戦没者墓苑などに安置されているシベリア抑留関連の無名戦没者の遺骨について、DNA型鑑定や親族の聞き取りを進めることで名前を取り戻す取り組みが強化されています。身元が判明すれば遺族に引き渡しが可能となり、たとえ遺骨の新規発掘ができなくとも、遺族の元に「遺骨が帰る」ケースを一つでも増やす狙いです。現に2024年〜2025年にかけて、旧ソ連抑留中死亡者の遺骨が相次いでDNA一致により身元判明し、90代の遺族らに伝達されています。
これは**「掘り出す代わりに照合する」アプローチ**とも言え、限られた状況下でできる範囲の代替策となっています。 さらに、民間団体や第三国機関との連携も模索されています。例えば国際赤十字など中立的組織の仲介で遺骨の引き渡し交渉を行ったり、ロシア国内の遺骨収集を現地の有志団体に委ねて日本は資金・技術支援を行うといった案も検討課題です(※報道や有識者の提案より)。
実際、過去にはロシア人研究者やボランティア団体がシベリア抑留者の埋葬地調査に協力した例もあり、日本側はそうしたパイプを維持しつつ、公式ルートが難しい間は非公式ルートで情報収集を進めています。もちろん勝手な発掘はできませんが、現地の戦史研究者らとの交流を通じ将来の共同作業に備える狙いです。 事業再開の見通しとしては、不透明ながらも希望は捨てられていません。ロシアへの渡航安全性が確保され次第、日本政府は優先的に遺骨収集団を派遣するとみられますが、それがいつになるかは予断を許しません。
現時点では「ウクライナ情勢の進展待ち」という状況ですが、一方で抑留者の高齢遺族らも残された時間が少ないため、日本政府も悠長に構えてはいられません。国会でも超党派でこの問題の早期解決を求める声があり、政府に対し創意工夫を凝らした対応を求めています(※国会質疑などより)。上述のように、代替策を講じつつ「止まらず続ける」ことが今後数年の鍵となりそうです。
日本共産党の小池氏も「日本政府も特措法に基づき事業を進める責任がある」と述べており、政府には困難下でも粘り強く取り組むことが期待されています。最終的には、平和が訪れ日露関係が正常化した段階で、改めてロシア政府と正式に協力体制を築き直し、大規模な遺骨収集プロジェクトを再始動させる計画です。その際には、現在蓄積している埋葬地リスト53か所分(シベリア全域・極東各地)の情報をフル活用し、一気に現地調査を進める構想もあります。関係者は「次にチャンスが来たときに迅速に行動できるよう準備しておくことが何より重要だ」としており(※厚労省関係者談)、その日のために資料整理・人員訓練・国際協力の地ならしと、水面下の努力が続けられているのが現状です。
以上のように、ロシア地域における日本人抑留者の遺骨収集事業は現在停滞を余儀なくされていますが、日本政府は人道と先人への責務の観点から決して手を緩めておらず、国際情勢を注視しつつ**「できることを積み重ね、機が来れば速やかに再開する」**との方針で臨んでいます。
最新の公式発表や専門家の見解もこの姿勢を支持しており、一日も早い犠牲者の遺骨の帰還と名誉回復に向け、引き続き努力が続けられる見通しです。



































